大阪に住んでいると、たこ焼きはあまりにも普通すぎて、逆に語る機会がない。
うどんみたいなもので、あって当たり前やし、うまくて当たり前みたいなところがある。駅前にもあるし、商店街にもあるし、ちょっと歩けば一軒くらい見つかる。だから大阪人にとって、たこ焼きは「わざわざ出会うもの」ではない。
ところが、十勝でたこ焼き屋に出会うと、ちょっと話が変わってくる。
しかも帯広で見つけたのは、しゃれた新店でもなければ、観光向けの店でもない。昔ながらの昭和っぽい商業施設の駐車場に止まったキッチンカー。中古のバンを改造して、そこでたこ焼きを焼いている店だった。名前は「ひつじや」。
最初に見たときから、なんか気になっていた。
十勝まで来て、なんでこんなにたこ焼きに心が引っかかるのか。たぶんそれは、懐かしいからではなく、少しだけ場違いに見えるからやと思う。広い空と駐車場のある帯広で、丸いたこ焼きをくるくる返している光景。その組み合わせが、妙に面白い。
その日、帯広は雨だった。
私は傘をさして、車の前で焼き上がりを待っていた。ザーザー降りというほどではないけれど、傘に当たる雨音がきちんと聞こえるくらいには降っている。ぱらぱらではなく、しっかり雨の日の音である。
店主は車の中にいて、ときどき小さめの声で話しかけてくれる。目をぐいぐい合わせる感じではない。どちらかというと、ちょっと照れくさそうで、必要なことを必要なぶんだけ言うタイプ。でも、冷たいわけではない。むしろ、こういう人のほうが、じんわり歓迎してくれているのが伝わることがある。
話しているうちに、その人が帯広の人であること、十年以上前に脱サラして、このキッチンカーを始めたことを聞いた。中古のバンを改造して、自分の店にしたらしい。
それだけでもう、なんかええ話である。
脱サラして、バンを改造して、たこ焼きを焼く。
字面だけ見たら、ちょっとした映画の設定みたいやけれど、実際の本人はそんな大げさな雰囲気を一切出してこない。ただ静かに、目の前の鉄板に向かって、たこ焼きを返している。その感じがよかった。
会話の中で、店主がぽつっと言った。
「大阪やったら、美味しいたこ焼きいくらでもあるでしょう」
これが、妙に印象に残った。
大阪のたこ焼き文化に対して変に対抗するでもなく、こっちも負けてませんと張り合うでもない。ただ、その事実をそのまま認めている。大阪人の私からすると、その控えめさがまず面白かった。普通やったら、ちょっとくらい自分の店を盛りたくなる。でも、この人はそういうことを言わない。
言わないのに、出てくるたこ焼きはちゃんと美味しい。
しかも一個が大きい。六個入りなのだが、食べる前は「まあ小腹満たしかな」と思っていたのに、食べ終わるころにはけっこう腹がふくれている。大阪で見かけるたこ焼きより、ちょっと堂々としている。丸いのに存在感がある。
待っているあいだ、耳に残っていたのは味の想像より、むしろ音だった。
傘に当たる雨の音。
鉄板をこするピックの音。
たこ焼きを何度も返す、こつこつした音。
あの返す回数、ちょっと多かった気がする。
もちろん気のせいかもしれない。たこ焼きはそういうものかもしれない。でも、雨の中で傘をさして待っている客を見て、この人は少しでも早く焼き上げようとしていたんじゃないか。そんなふうにも見えた。
真相は分からない。
分からないけれど、旅先とか、通い慣れてきた土地で記憶に残るのは、案外そういう「分からないけど、たぶんこうやったんちゃうか」という場面だったりする。はっきり親切にされたわけではない。でも、少しだけ気を配ってくれたように見えた。その微妙な気配が、あとで効いてくる。
焼き上がったたこ焼きを、車の中で開ける。
ぶわっと湯気が上がって、フロントガラスがまたたく間に白く曇った。 急に車内がたこ焼きの匂いでいっぱいになって、外の雨が少し遠くなる。
ドアを閉めると、天井に雨が当たる音が響く。 曇ったガラスの向こうに、さっきのキッチンカーがぼんやり見える。 この時間が、なんかよかった。
たこ焼きそのものの味だけなら、大阪には名店がいくらでもある。正直、それはそうである。大阪人として、それは認めざるを得ない。
でも、ひつじやのたこ焼きは、大阪の名店と比べるためのものではなかった。
雨の日に、傘をさして待って。
控えめな店主がいて。
鉄板の音がして。
焼き上がったものを車の中で食べる。
その一連の空気ごと、たこ焼きになっていた。
十勝に月一くらいで通っていると、こういうことが増えてくる。絶景より先に、駐車場の空気を覚えてしまう。名所より先に、スーパーの値引き時間が気になる。豚丼の名店より前に、コンビニ弁当の温かさが記憶に残る。
ひつじやのたこ焼きも、たぶんその一種なのだと思う。
大阪のたこ焼きとは違う。
でも、ちゃんと美味しい。
そして、それ以上に、あの雨の日の空気がよかった。
十勝で食べたたこ焼きなのに、どこか関西弁で聞こえる瞬間がある。
でも、しゃべりすぎない。
押しすぎない。
そのへんが、ちゃんと十勝やなとも思う。
帯広の雨の下では、それくらい静かなほうがちょうどいい。
たこ焼きは丸い。
会話も丸い。
雨音まで丸かった日である。
大阪人としては、なんというか、負けた気はしないのに、妙にまた食べたくなる。
ああいうのを、生活の記憶と言うのかもしれない。

