帯広の開拓者「依田勉三」を地元でもあまり知らない問題|十勝の生活小ネタ

月一で通う大阪人が見た十勝の生活小ネタ集

十勝に月1くらいで通っていると、時々ふしぎな瞬間に出会う。
「え、それ知らんの?」
というやつである。

観光地とか名物料理の話ではない。 もっと地味な、歴史の話だ。

ある日、帯広で雑談をしていたとき、ふと思いついてこう聞いた。
「依田勉三って知ってます?」
帯広の開拓の話をしていた流れだったので、当然知っているものだと思っていた。

ところが返ってきた言葉は、
「誰ですか?」
である。

大阪人の私が、帯広の開拓者の話をして、地元の人が知らない。

この瞬間、ちょっとした時空の歪みを感じた。

そのとき、席にいたのは4人。 帯広や鹿追に住んでいる人たちだ。

私は軽く説明した。
「晩成社っていう開拓団の中心人物で、帯広の農業の基礎を作った人ですよ」

すると、
「ああ……そうなんですか」
という反応。

知らないのではなく、「今この瞬間に誕生した知識」という顔をしていた。

さらに聞いてみた。
「静岡出身って知ってました?」
「知らないです」
「六花亭のマルセイの由来って、晩成社の”成”なんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
この時点で、私の頭の中では少し混乱が始まっていた。

なぜ大阪人の私が、十勝の歴史を解説しているのだろう。
しかも4人を前に。
しかも得意げに。

依田勉三は、1853年に静岡県で生まれた人物である。
明治時代、理想の農業共同体を作るという志で「晩成社」という団体を作り、帯広へ入植した。
ただし、当時の帯広は今の風景とはまったく違う。

原生林、湿地、寒さ、ヒグマ。
今の感覚で見ると、むしろ『なんで来た?』と言いたくなる世界である。

結果として、晩成社の開拓は多くの困難にぶつかり、仲間の多くが脱落した。
歴史として見ると、成功というより「苦闘の開拓」である。

それでも、その精神は十勝農業の基礎になったと言われている。
つまり依田勉三は、十勝開拓の象徴的な人物なのだ。

でも、これだけ語れるのには理由がある。
実は「帯広百年記念館」へ行ったとき、あまりに情報量が多くて1回では全然足りなかったのだ。

気がつけば、2回目の訪問で「年間パスポート」を握りしめていた。
受付の方の「え、年パス……ですか?」という、絶妙に引いたような、でも驚きを隠せない顔が忘れられない。

大阪から月1で通って、百年記念館の年パスを買う。
自分でやっておきながら、この距離感はもう完全におかしい。

そしてもう一つ面白い話がある。

六花亭の人気商品 マルセイバターサンド

この「マルセイ」という名前。
実は晩成社の「丸に成」というマークから来ている。

つまり、
晩成社の「成」 に〇でマルセイ
という流れだ。

この話をすると、だいたいの人が
「へえー」
と言う。

ただしその「へえー」は、初めて知った「へえー」である。
ただし、依田勉三のときよりはくいつきがいい。

鹿追や帯広で何度かこの話をしてみたが、体感では4人に1人くらいしか依田勉三を知らない。

そして

・静岡出身 ・マルセイの由来

まで知っている人は、ほぼいない。

ひょっとして、学校では習っているのかもしれない。
でも、大人になると歴史は案外忘れてしまう。
逆に、外から来た人間の方が興味を持って調べたりする。

だから今、ちょっと不思議な状況になっている。

帯広の開拓史を、大阪人の私が語っている。

そして地元の人が、
「知らんかった」
と言っている。

歴史というのは、案外そんなものかもしれない。

ただ一つ確かなのは、マルセイバターサンドを食べるたびに 私はちょっとだけ思い出す。

あの「成」のマークのことを。

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