十勝に月1くらいで通うようになってから、観光地より先に気になるものがある。
スーパーの惣菜とか、コンビニの弁当とか、地元の人が普通に食べていそうなものだ。
大阪にいると、旅先で食べるものにはつい「名物感」を求めてしまう。
せっかく来たんやから、有名店に行っとかなあかんのちゃうか、と勝手に思う。
豚丼やったら、なおさらそうや。帯広には有名な店がいくつもあるし、観光で来た人なら、そっちへ向かうのが正解なんやと思う。
でも、月1で通うようになると、そのへんの感覚がちょっと変わってくる。
名店ももちろんええねんけど、毎回そういうテンションでもない。
今日は移動の途中やしな、とか、ちょっと小腹が空いたな、とか、そういう生活の隙間みたいな場面のほうが増えてくる。
そんな中で、じわじわ存在感を増してきたのが、セコマのホットシェフである。
最初、私はカツ丼派だった。
ホットシェフといえば、なんとなくカツ丼のイメージが強かった。
実際うまい。ちゃんとあったかいし、コンビニ弁当のくせに、妙に「できたて」の顔をしている。
あれはあれで完成されていて、移動中に買う飯としてかなり優秀やと思う。
だからしばらくは、セコマに入っても視線はほぼカツ丼一直線やった。
迷う余地がない。
「はいはい、今日も君ですね」という感じで手に取っていた。
ところが、ある日ふと豚丼に手を出した。
きっかけは、たぶん深い理由ではない。
毎回カツ丼もどうやろ、たまには別のもん食べてみるか、くらいの軽い気持ちだったと思う。
たしか、樹海ロード日高のとなりのセコマだった。
食べてみると、これが思っていた以上に良かった。
まず、名店の豚丼とは別物である。
炭火で香ばしく焼いて、たれがしっかり染みて、肉の存在感で押してくるあの感じとは違う。
あっちは「豚丼を食べに行く」もので、こっちは「そこに豚丼がいてくれる」感じや。
でも、そこがええ。
ホットシェフの豚丼には、有名店ではない豚丼の良さがある。
大げさではない。
構えてない。
なのに、ちゃんと豚丼の顔をしている。
食べた瞬間に「うわ、名店超えた」とか、そういう話ではまったくない。
むしろ逆で、これを名店と比べたらあかんのやと思う。
これは、十勝とか北海道の生活の中に、しれっと入り込んでる豚丼や。
その「しれっと感」が、やたらといい。
ホットシェフやから、ちゃんと温かい。
この温かさが絶妙で、ただ熱いだけではない。
作りたての勢いというより、「今ちょうど食べやすいですよ」という体温に近い。
このニュアンスが、移動中の身には妙に効く。
豚丼がこちらに問いかけてくる。
「僕らいつもこんな感じですねん」
外がひんやりしている日なんか特にそうで、車に戻って食べると、ちょっと安心する。
コンビニ弁当を食べているだけのはずやのに、なぜか「ちゃんとした休憩」になる。
このへんが面白い。
名店の一杯が旅の記憶になるなら、ホットシェフの豚丼は移動の気配そのものになる。
車で食べるのが、また似合うのである。
これが店内のテーブルで食べても別にええのだが、なんとなく車が似合う。
エンジンを切って、静かになった車内で、買ったばかりの豚丼のふたを開ける。
湯気というほどでもない、でもちゃんと温かい空気がふわっと出る。
この瞬間に、「ああ、今、北海道を移動してるなあ」と思う。
しかも不思議なことに、これ、備蓄のつもりで買うことがある。
この先、タイミングよく店がないかもしれん。
小腹が空いた時用に、ひとつ持っとくか。
そういう理性的な判断で買う。
完全に予備戦力のつもりで車に乗せる。
今すぐ食べる気はない。
まだいける。
これは後半のためのカードや。
そう思って買う。
でも、食べてしまう。
だいたいすぐ食べてしまう。
まだ早いかなと思いながら、信号待ちとか駐車したタイミングで存在を思い出す。
横を見ると、そこにいる。
温かいうちにいっといたほうがええんちゃうか、という悪魔なのか天使なのかわからん声がする。
しかも、ホットシェフの豚丼は「今じゃなくてもいいですけど、今でも全然いけますよ」みたいな顔をしている。
あの押しの弱さが、逆に強い。
で、食べる。
備蓄、終了。
計画、消滅。
これを私は、道の駅「樹海ロード日高」で何回かやっている。
行きでやる。
帰りでもやる。
行きは、これから先のために買っておこうと思う。
でも、樹海ロード日高あたりで食べてしまう。
帰りは帰りで、大阪人的には「帰路こそ油断したらあかん」と思うから、また買う。
そして、また食べてしまう。
学習していないのである。
この往復が、なんかもう完成している。
樹海ロード日高の空気の中でやってるのに、耳だけ大阪に戻る。
北海道なのに関西弁で聞こえる、というのは、たぶんこういうことなんやと思う。
十勝や日高を何度も行き来していると、こういう場面が増える。
大きな観光名所ではなく、移動の途中のコンビニとか、道の駅とか、そういうところに自分たちのリズムができてくる。
そのリズムの中に、ホットシェフの豚丼がすっかり入り込んでしまった。
有名店の豚丼は、やっぱり特別だ。
食べに行く価値があるし、旅のメインイベントにもなる。
でも、セコマのホットシェフ豚丼には、別の役割がある。
これはごちそうというより、生活の側にいる豚丼やと思う。
移動の途中にいてくれる豚丼。
ちょっと寒い日とか、ちょっと疲れた時とか、ちょっと時間が読めない時に、すっと寄り添ってくる豚丼。
十勝や北海道のソウルフードの気配って、案外こういうところにもあるのかもしれない。
大きな看板もない。
行列もない。
でも、何回も買ってしまう。
そして何回も「備蓄」のつもりが崩れる。
大阪人としての結論を言うなら、これはもう立派な失敗のルーティンである。
ただし、かなりうれしい失敗だ。
備蓄のつもりで買って、温かいうちに負ける。
行きも帰りも同じことをする。
そのたびに「またやってもうた」と言いながら、ちゃんと満足している。
豚丼というのは、名店で堂々と食べるものやと思っていたけど、セコマのホットシェフは、車の中でこっそり食べてもちゃんと豚丼やった。
いや、むしろその食べ方まで含めて、北海道の生活の味なんかもしれん。
たぶん次もまた、備蓄のつもりで買うと思う。
そして同じように食べると思う。
学ばないのではない。
あれは、たぶん、わかっていて負けている。

