旅先で美術館に入ると、その日の移動や空気まで作品の一部のように見えてくることがある。
鹿追町の福原記念美術館に立ち寄った日も、少しそんな感じだった。神田日勝美術館とのセットチケットをお願いしたところ、4月から1年間休館とのことだったので、この日は福原記念美術館だけを見ることになった。入館料は500円。館内は個人的な使用目的に限り、写真撮影も可能だった。
入口を入ってすぐのところにあったのが、田中彰作「旅人たちのモニュメント」である。

タイトルを見た瞬間に、少し立ち止まった。鹿追に滞在して、温泉に行き、洗濯をして、仕事をして、美術館に立ち寄る。自分では生活の延長のつもりで動いていても、こういう土地でこうして過ごしていること自体、見方によっては旅の途中なのだと思う。そんな日に「旅人たち」という作品が入口で迎えてくると、ただ展示を見始めるというより、自分の立っている場所を少し言い換えられたような気がした。
美術館という場所は、ときどきそういうことをする。
作品の前に立っているはずなのに、逆にこちらの輪郭が少しはっきりしてくる。
この日、とくに印象に残ったのは藤井範子氏の作品だった。
「開花へ」はひまわり、「ひこばえ」は桜を題材にした作品である。春の入口にいる時期だったこともあって、その二つが妙に心に残った。北海道の春は、暦の上では進んでいても、体感としてはまだ途中である。朝晩は冷えるし、風も鋭い。けれど、どこかで確実に季節は動いている。その中で「開花へ」という言葉を見ると、まだ咲ききっていないものの力のようなものを感じる。

「ひこばえ」という言葉にも惹かれた。
切られたあとや、いったん終わったように見えるところから、また芽が出る。そういう意味を持つ言葉だと知っていると、桜を描いた作品でありながら、ただ春らしい、きれいだ、というだけでは終わらない感じが出てくる。旅先で見る春の絵として、少し深さがあった。
自分が北海道を行き来していて感じる春も、少しそれに近いのかもしれない。急に華やかに変わるというより、寒さの名残の中からじわじわ立ち上がってくる。だから、こういう作品に足を止めたのだと思う。
館内では池田満寿夫氏の作品も展示されていた。
説明の中で印象に残ったのは、線による雨の表現は浮世絵から始まったと言われている、という話だった。たしかに雨を描く時、ただ風景を濡らすのではなく、線として見せる発想には、日本的な視覚の流れがあるのだろう。そう思って見ると、作品そのものだけでなく、表現の積み重なりみたいなものまで少し感じられて面白かった。
展示数は約150点。油絵、水彩画、彫刻、日本画など、種類も幅広い。

ひとつの作風に寄りすぎず、いろいろな表現が並んでいるので、見ていて流れが変わるのもよかった。旅先の美術館は、知識を取りに行く場所というより、歩きながら感覚を整える場所に近い時がある。福原記念美術館も、この日はそういう場所としてちょうどよかった。
観光地を回るのとは少し違う。
温泉に入って、洗濯をして、連絡を返して、その途中で美術館に入る。そういう一日の中で作品を見ると、美術館だけが特別な時間として浮くのではなく、生活の流れの中に静かに入ってくる。むしろその入り方のほうが、あとに残ることがある。
入口で迎えてくれた「旅人たちのモニュメント」と、春を感じさせた「開花へ」「ひこばえ」。
この日、福原記念美術館で心に残ったのは、派手な驚きというより、旅の途中で季節の輪郭を少しだけ言い直してくれるような作品たちだった。
鹿追で立ち寄った美術館の記憶としては、かなり静かで、かなりよかった。

