十勝に月1くらいで通うようになってから、自分の中で少しずつ感覚が変わってきた。
最初のころは、やっぱり分かりやすい名物とか、有名な場所とか、そういうところが気になっていた。
豚丼とか、六花亭とか、広い畑とか、そういう「十勝っぽいもの」を見つけると、それだけでちょっと嬉しかった。
でも、何回も通っていると、だんだん興味の向く先が変わってくる。
観光地として有名かどうかよりも、
「なんでこれがここにあるんやろ」
とか
「地元の人はこれをどう見てるんやろ」
みたいな方が面白くなってくる。
そんな流れで行ったのが、忠類ナウマン象記念館だった。
正直に言うと、出発前のテンションはそこまで高くなかった。
「まあ、一回くらい見とくか」
そのくらいである。
名前は知っている。
ナウマンゾウも聞いたことはある。
でも大阪人の感覚でいうと、ゾウの化石の展示館にそんな何時間もおる未来は、あの時点ではまったく見えていなかった。
ところがである。
入ってみると、これが妙に面白い。
化石そのものももちろん気になるのだが、ただ「昔ゾウがいました」という話では終わらない。
十勝に昔こんな環境があったのか、とか、どうやって見つかったのか、とか、発掘ってそんなドラマあるんや、とか、見ているうちにだんだん頭の中で景色が立ち上がってくる。
いま車で走っているこの十勝の風景の下に、そんな太古の時間が埋まっていたのかと思うと、急に土地の見え方が変わってくる。
大阪で暮らしていると、土地の下に何が眠っているかなんて、あまり考えない。
せいぜい「このへん昔は何があったんやろ」くらいである。
でも十勝は、スケールがいちいち大きい。
広い畑を見ても大きいし、空も大きいし、話を掘っても大きい。
その「掘る」が今回はほんまに掘ってる話なので、余計に面白かった。
気がついたら、私は展示をじっくり見ていた。
説明を読んで、
模型を見て、
また戻って読んで、
「いやこれ結構すごないか」と一人で勝手に盛り上がっていた。
その間、妻はどうしていたかというと、20分で見終わっていた。
そして、すっと隣のナウマン温泉へ行った。
この判断がまた、実に正しい。
普通に考えたらそうである。
記念館をひと通り見て、「へえー」となって、あとは温泉へ行く。
観光としてはむしろ理想形やと思う。
一方そのころ私は、まだ化石の前にいた。
夫は3時間、妻は20分で温泉。
この時点で、同じ場所に来ているのに、体験している旅がまるで違う。
夫婦で行動しているのに、片方は太古の十勝を見ていて、もう片方は湯につかっている。
なかなか味わい深い分岐である。
でも、このズレがちょっと面白かった。
たぶん私は、観光地を見ていたというより、
「十勝という土地の奥行き」を見ていたのだと思う。
そしてもうひとつ面白いのは、こういう場所のことを、地元の人が意外と知らなかったり、行ったことがなかったりすることだ。
大阪だったら、
「そんなすごいもんあるなら、もっと前に出してくるやろ」
と思う。
もっと看板も出すし、
もっと押し出すし、
もっと商売っ気も出す。
でも十勝は、そういう感じがわりと薄い。
大事なものが、静かにそこにある。
それが良い。
いや、商売的にはもっとアピールしてもええんちゃうかとも思うけど、この「別に騒がへんけど、ちゃんとあるで」という感じが、十勝らしい気もする。
月1で通っていると、こういう空気にだんだん慣れてくる。
派手に主張しない。
でも、知るとじわじわ効いてくる。
忠類ナウマン象記念館も、まさにそんな場所だった。
最初は「一回くらい見とくか」くらいの気持ちやったのに、終わってみれば自分だけ3時間いた。
そして妻は温泉に行っていた。
この構図だけでも、もう十分に話として出来上がっている。
十勝の面白さは、名所の大きさだけではなく、
こういう「地元に溶け込みすぎている場所」の中にあるのかもしれない。
大阪人からすると、
「これ、もっと騒がれてもええやん」
と思う。
でも十勝では、それが静かに置かれている。
たぶん、そういうところが好きになってきているのだと思う。
ナウマンゾウ記念館は、ゾウの化石を見る場所というより、
十勝の時間の深さにうっかりハマる場所だった。
そして隣に温泉があるのも、実に十勝らしい。
3時間かけて太古を見にいく人もいれば、20分で切り上げて湯に向かう人もいる。
どっちも正しい。
ただひとつ言えるのは、
私はどうやら、ゾウ側の人間だったらしい。
ナウマン象記念館についての詳しい話はこちら▼


