十勝に月1くらいで通うようになって、もう2年以上になる。
関西人にとって、北海道の温泉は少し特別だ。
旅先で見つける楽しみのひとつであり、時間に余裕があるときに立ち寄る場所でもある。
今日は温泉に入ろう、と少し気分を整えて向かう。少なくとも自分にとっては、そんな存在だった。
ところが十勝に通ううちに、その感覚が少しずつ揺らいできた。
日曜朝に鳳乃舞温泉へ行くと、平日とはまた違う顔が見える。
常連らしき人だけでなく、家族連れも多い。小さな子どもを連れた親子の姿も目立つ。
観光客がわざわざ立ち寄る温泉というより、地元の人が普通に使う生活の場としてそこにあるように見える。
この感じが、関西人には少し新鮮だ。
関西で温泉といえば、どこか非日常の側にある。日帰り温泉でも、ちょっとした外出になる。今日は温泉に行こう、という気持ちが先にある。
でも十勝では、温泉がもっと日常の近くにあるように見える。
朝風呂に入って一日を始める人がいて、家族でふらっと来ているように見える人もいる。
こちらが「北海道の温泉ええなあ」と思っているものを、向こうは「いつもの風呂の延長」くらいの距離感で使っているように見える。
この差が面白い。
旅人からすると贅沢に見えるものが、その土地では日常になっている。
十勝の温泉は、まさにそういう存在なのかもしれない。しかも最近は、こちらの感覚も少しずつ変わってきた。
北海道に来たから温泉へ行く、というより、その日の流れの中に自然と温泉が入ってくるようになった。
朝の空気を感じて、ひと風呂浴びて、そこから仕事に向かう。そんな時間の組み立て方が、少しずつ自分の中にも入り込んできている。
最初は旅先の楽しみだったものが、何度も通ううちに、土地の暮らし方として見えてくる。
そして気がつけば、自分も少しだけその感覚に寄っていく。十勝に通っていて面白いのは、絶景よりこういうところかもしれない。
景色を見るだけでは分からない。その土地で何が当たり前なのかに触れたとき、旅人の価値観は静かに動く。
関西人には少し贅沢に見える温泉時間が、十勝では日常の中にある。
そのことに気づいてから、温泉の見え方が少し変わった。そしてたぶん、自分の時間の流れ方も、少しだけ変わってきている。

