帯広や十勝で人の昔話を聞いていると、おもしろいことに気づく。同じ土地の話をしているのに、懐かしむ対象が少しずつ違うのだ。
先日、帯広のワインバー「ブリックス」で、隣の席の男性2人が「受験で来たときはワシントンホテルに泊まった」と話していた。今でいうアパホテル〈帯広駅前〉の建物だろう。
あの2人が帯広にそのまま残った人たちなのか、何年ぶりかに訪ねてきた人たちなのかは分からない。関係も分からない。でも、その一言だけで、その人たちにとっての帯広の入口が「アパホテル」ではなく「ワシントンホテル」だった時代があったのだと分かる。

義父の時代には、駅から大学まで鉄道があった
うちの義父は畜大生だった時代の話をする。あの頃は、帯広駅から大学まで鉄道があったという。今の感覚で帯広駅前から畜大を思い浮かべると、鉄道で結ばれていた風景はすぐには重ならない。
けれど、その世代にとっては、それが帯広の当たり前だったのだろう。
帯広の街を思い出すとき、その人の頭の中には、今とは少し違う地図が広がっているのかもしれない。
渋じいが懐かしんでいたのは、風景より時代の空気だった
一方で、鹿追のびっくり寿司のカウンターで隣に座ったワイルドな渋じいは、また別の帯広圏を持っていた。鉄道の話ではなく、学生運動の頃にはカニ族や活動家がいた、という空気の話をしていた。
風景というより、時代の匂いを懐かしんでいる感じだった。同じ十勝でも、思い出す入口が違う。
同じ街でも、記憶のフックは世代ごとに違う
鉄道を思い出す人がいる。
ホテルの名前を思い出す人がいる。
時代の空気を思い出す人がいる。
街は同じでも、懐かしむ象徴は世代ごとに少しずつ違うらしい。
帯広に何度も通うようになって思うのは、街そのものは一枚ではないということだ。観光で見える帯広と、暮らしの中で見える帯広が違うのと同じように、記憶の中の帯広も人によって全然違う。
ある人には駅から大学へ向かう鉄道で、ある人には若い頃の受験の夜に泊まったワシントンホテルで、ある人には学生運動のざわついた空気なのだろう。
人は街そのものではなく、若い頃の通過点を懐かしんでいるのかもしれない
たぶん人は、街そのものを懐かしんでいるのではない。自分が若かった頃、その街の何と出会ったかを懐かしんでいるのだと思う。
だから同じ帯広の話をしていても、思い出される看板も路線も空気も、世代ごとにずれていく。そのずれが、逆に街の厚みになる。
帯広には、いくつもの時間が重なっている
ブリックスで聞こえたワシントンホテルの話は、ホテルの名前の変遷以上に、そのことを思わせた。街の象徴は一つではない。世代ごとに、心に引っかかっている帯広の入口が違う。
そう考えると、同じ街に重なっている時間の層が、少し見えた気がした。

