十勝に月1くらいで通うようになって、もう2年以上になる。
ここでスーパーに入ると、関西の感覚が少しずつずれていく。
最初のうちは、ダイイチもフクハラも「地元のスーパー」というくらいの認識だった。
旅先で立ち寄る店として見ているうちは、その程度である。ところが、何度も十勝に通い、晩ごはんをどうするか、朝のパンをどこで買うか、飲み物や惣菜をどこで足すか、そんな日常の延長として出入りするようになると、両者の違いがじわじわ見えてきた。
似ているようで、空気がけっこう違う。
関西のスーパーは、もちろん店によるが、全体として少し前のめりである。値段を見せる。お得感を出す。特売の勢いがある。
買い物にちょっとした熱気がある。今日はこれ安いで、これ買っとき、という圧がある。あれはあれで嫌いではない。むしろ大阪人には落ち着く空気でもある。
けれど十勝でダイイチやフクハラに入ると、同じスーパーでも、もう少し暮らしの速度に寄り添っているように見える。

ダイイチは、日々の買い物に少し楽しさが混ざる店、という印象がある。
ただ必要なものを取りに行くというより、売場を一周しているうちに、今日の晩ごはんはこれでいこうかと予定が変わるような感じがある。
惣菜を見て、あ、これはちょっとええなと思ったり、鮮魚や肉の並びを見て、焼くか煮るか、献立の方向が変わったりする。
以前、夕方のダイイチで総菜売場を見ていたとき、値引きのシールが付き始めた寿司や揚げ物の前に、自然と人が集まっていた。
大阪のような奪い合いの熱気ではないのだが、みんな静かに、でもちゃんと狙っている。その感じが面白かった。
しかも、値引きされたから妥協して買うというより、もともとちゃんとしているものが、さらに少しうれしい価格になる、という空気がある。
前にダイイチの惣菜は十七時ごろから動き始めて、十八時半にはかなり減るなと感じたことがあったが、あれも生活のリズムがそのまま売場に出ている感じがした。
ダイイチは、買い物そのものに少し体温がある。今日は何かうまそうなものあるかな、と見に行く店である。必要な物資の補給で終わらず、売場を一周すること自体が晩ごはんを決める時間になっている。

それに対してフクハラは、もっと静かである。派手さがない、という言い方もできるが、たぶんそれだけではない。ここにちゃんとあってくれる安心感のようなものが先に立つ。
町の暮らしを底で支えている店、という印象が強い。目立とうとしていないのに、生活の導線の中に自然と入ってくる。
フクハラに入ると、売場のどこかに「今日はこれを買って帰れば普通に夜が回る」という落ち着きがある。大きな驚きはないのに、晩ごはんの材料も、朝のパンも、牛乳も、明日の分までちゃんと揃う。
その感じは、旅先の店というより、生活の基盤に近い。大阪から来た人間には、この前へ前へと出ない感じが、逆に新鮮だった。
たぶん、ダイイチは少し気分を上げてくれる店で、フクハラは生活を静かに支えてくれる店なのだと思う。
どちらが上という話ではない。ダイイチには、今日は何かあるかな、と見に行く楽しさがある。フクハラには、今日も普通に暮らしを回してくれる安心感がある。
その違いは、価格とか品ぞろえだけ見ていても、たぶん分かりにくい。
何度か通って、何度か買って、夕方に寄ったり、朝に寄ったりしているうちに、店の役割の違いが見えてくる。
スーパーというのは、観光ガイドにはあまり載らないが、その土地の暮らし方がいちばん素直に出る場所かもしれない。
観光地は見に行く場所だが、スーパーは生活がにじむ場所である。
ダイイチとフクハラを行き来していると、十勝では「どこで買うか」よりも、「どう暮らしているか」のほうが先にあるような気がしてくる。
大阪ではスーパーに勢いを感じることが多いが、十勝では呼吸を感じる。
そんな違いが、じわじわ面白い。

