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ひがしもこと芝桜公園と、中鉢末吉さんの物語
十勝やオホーツクを走っていると、ときどき「北海道の絶景」という言葉では片づけられない景色に出会う。
ただ自然が広がっているだけではない。
「誰かが人生をかけて作った風景」
そんな場所が、北海道には時々ある。
ひがしもこと芝桜公園も、そのひとつだった。
北海道大空町。
藻琴山へ向かう途中、小高い丘が突然ピンク色に染まる。
10ヘクタールに広がる芝桜。
まるで北海道の広さそのものが花になったような景色だった。
だが、現地の説明板を読んで驚いた。
この景色は、ほとんど1人の男の執念から始まっていたのである。
終戦直後、庭の片隅から始まった
芝桜公園の原点は、終戦直後。
花好きだった中鉢末吉さんが、庭に植えた「ひと握りの芝桜」だった。
そこから少しずつ株を増やし、自宅には10アールほどの小さな芝桜公園まで作ったという。
その美しさが評判となり、
「芝桜で村の憩いの場を作ってほしい」
と頼まれた。
そして58歳の時。
中鉢さんは離農し、芝桜づくりに人生を賭けることになる。
重機なし。1人の手作業。

説明文を読んでいて、一番衝撃だったのはここだった。
丘に生えた木や笹を刈り払い、根を掘り起こし、火山灰地を耕し、苗を1株ずつ植える。
しかも急斜面なので機械は使えない。
全部、手作業。
1年に1ヘクタール。
それを約8年。
現在の「ピンクの丘」を作った。
文章で読むと数行だが、実際には気が遠くなるような作業だったと思う。
さらに終わりではない。
雑草抜きで1か月かけて1周すると、また新しい雑草が生えている。
それを10月まで5巡。
毎年その繰り返し。
北海道の絶景というより、もはや人間の修行である。
「花は人を見ている」
説明板の中で、特に印象に残った言葉がある。
花は人を見ている。
愛情を込めなきゃ駄目。
手を抜こうものなら、てきめん不機嫌になる。
なんだか、北海道の風景そのものの話みたいだった。
北海道の景色は雄大だ。
だが、実際には放っておけば維持できない。
草は伸びる。
雪は積もる。
風で壊れる。
道路もベンチも温泉も芝生も、誰かが整え続けている。
自分も北海道でノマドワークをしていると、
芝生に座り、 温泉で仕事し、 道の駅を使い、 防風林を眺めている。
でも、その「当たり前の景色」は、誰かの手入れの上に成り立っている。
この芝桜公園の話は、そのことを改めて思い出させてくれた。
北海道の風景の裏側
今では大型バスが来て、観光客が訪れ、空港からタクシーで直接やって来る人までいるという。
だが、その始まりは、
「花が好きだった1人の農家」
だった。
北海道には、こういう話が時々眠っている。
広い景色の裏に、人の人生が埋まっている。
だから北海道の風景は、ただ「きれい」だけでは終わらないのかもしれない。
景色そのものに、人の時間が染み込んでいる。
そんなことを、ピンク色の丘を見ながら考えていた。

